伝説のバンド「レッド・ツェッペリン」
活動期間はわずか10年。
残した伝説は数知れず、その楽曲の数々は今もなお、年齢問わず沢山の人に愛され続けています。
🎧️ レッド・ツェッペリンと言えば、この曲
ボーカルのロバート・プラントの高音シャウト「あああーあ!」でおなじみのこの曲。
タイトルは「Immigrant Song(日本名:移民の曲)」。
誰でも一回は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
この曲がたまらなくかっこいい!
”かっこいい”と言う簡単なことばでは言い表せない「レッド・ツェッペリンの音」が、イントロのビートから体に刻みこまれていく。心を鷲掴みにして離さないのです。
ぜひ、イヤホンをつけて、大きな音で感じ取ってみてください。
曲が始まったその瞬間から、レッド・ツェッペリンの世界が広がっています。
周りに誰もいないか、しっかり確認してくださいね♪
2025年9月26日に公開された『レッド・ツェッペリン ビカミング』は、公開前から多くのメディアで注目され、話題沸騰中です。
👉️映画が気になる方はこちらをチェック♪
彼らが解散してから、約50年が経ちました。
レッド・ツェッペリンの楽曲はハードロックやヘヴィ・メタルと呼ばれるジャンルの先駆者のひとりであり、音楽業界に大きな影響を与えたとされています。
彼らが持つ魅力とは?
ここまで人を魅了させる秘密はどこにあるのか?
過去をさかのぼり、才能あふれるメンバーとの出会いから現在の歩みを深堀りしていきます。
レッド・ツェッペリンの全アルバム曲をまとめました♪
ぜひ、耳で楽しみながら、レッド・ツェッペリンの歴史を振り返ってみましょう。
🎧 Spotifyで今すぐ聴けます。

それじゃ、デビュー前のヒストリーにさかのぼって見ていこう!!
初めてでもわかる!レッド・ツェッペリン結成前とニュー・ヤードバーズ時代の歩み
ヤードバーズ(The Yardbirds)は、レッド・ツェッペリン結成の母体ともなったグループ。
なんと!
かの有名な、エリック・クラプトンやジェフ・ベックら有名ギタリストが在籍していたのだとか。
最初の始まりは、1966年。
エリック・クラプトンがヤードバーズを脱退したタイミングで、かつてジェフ・ベックの友人であったジミー・ペイジをギターに…と声がかかりました。
しかし、その時ジミー・ペイジは他のセッションの仕事が忙しく一度お断りをしました。
その後、ベース担当が抜けたタイミングで、またもやお誘いを受けます。
意外にも、当時ジミー・ペイジはベースの演奏経験がありませんでしたが、快く快諾したのだそうです。

経験ないのに、承諾するって💦
相当”できる”っていう自信があったんだね!

ベースを担当した期間は、わずか1週間。
その後はギター担当として、実力を発揮していったんだ♪
しかし、この体制での活動は長く続かず、次第にメンバーが離脱していきました。
ジェフ・ベックはジミー・ペイジと意見が合わず脱退。その後も次々とメンバーが離れていき、最後に残されたのはジミー・ペイジ一人となりました。
ちなみに、脱退したメンバーの一人、ベースのクリス・ドレジャは写真家の道を進み、
後にレッド・ツェッペリン1st アルバム裏ジャケットを撮影しました。
1968―Led Zeppelinの誕生―

一人となったジミー・ペイジは、レコード会社との契約が残っていたため、バンドを継続させようと、メンバーを探しました。
そこで出会ったのが、以下のメンバーです。
ジョン・ポール・ジョーンズ:ペイジとセッション仲間だったベーシスト
ロバート・プラント:当時無名のシンガー。テリー・リードが推薦
ジョン・ボーナム:プラントと若き頃から交流があったドラマー

テリー・リードはソングライターなんだけど。
ロックミュージック界で傑出した才能を持つ人物として知られているよ♪
ニューバードヤーズとしての幻の活動期間
契約を守るため、デンマークやスカンジナビアで演奏した際、バンド名を「ニュー・ヤードバーズ」と
改め、初ステージに臨みました。

地元ニュースメディアは、ニュー・ヤードバーズの公演を観て
「少なくとも以前のメンバーと同じくらい素晴らしい」と高評価したんだって♪
このライブの成功を受けて、メンバー全員が「ヤードバーズという名前に縛られる必要はない」と意見が一致。
こうして、新たに「Led Zeppelin」としてスタートすることになったのです。
改名後―Led Zeppelinとしての再スタート―

ところでさー。
レッド・ツェッペリンってどういう意味なの?
グループで話し合ったりしたのかな?
実は「Led Zeppelin」というバンド名を考えた人は、はっきりしていません。
ただ、様々な雑誌のインタビューなどで、The Who の キース・ムーン と ジョン・エントウィッスル の両方が由来を語っています。
💿️初期に発売されたアルバム💿️
☆『Led Zeppelin』1969年1月
☆『Led Zeppelin Ⅱ』1969年10月
☆『Led Zeppelin Ⅲ』1970年
名前の由来はジョークから
1960年代半ば、ジミー・ペイジが新バンド構想を語ったときに、The Who のキース・ムーンが
冗談混じりに「そんなバンドはツェッペリン気球のように墜落するだろう」と言ったそうです。
この”ツェッペリン気球”というのは、1937年に起きたヒンデンブルク号爆発事故を引き合いにしたもので、ジミー・ペイジはこの冗談を気に入ったんだとか。
このジョークをもとに考えられたのが Lead Zeppelin です。
・lead = 鉛(金属)
・zeppelin = 飛行船
鉛の風船のように落ちる=皮肉で重みのある名前、というニュアンスを込めた発想でした。
しかし、英語では lead は「鉛」と書いても “リード”(導く)と読まれることが多く、発音の誤解を招いてしまう可能性があります。
そこで当時のマネージャーが、「Led にした方が “レッド” って読んでもらえるんじゃない?」とアドバイスしたことで…
最終的に Led Zeppelin となったのです!

皮肉な名前だけど、ジミー・ペイジは気に入ったみたいだね♪
Led Zeppelin 〜伝説のメンバー〜


数々の伝説を生んだ、彼ら一人ひとりにスポットライトを当てて
ご紹介します♪
ボーカリストのロバート・プラント
レッド・ツェッペリンと言えば、この歌声ですよね。
圧倒的な声量、セクシーなハイトーンボイス、そしてスレンダーでモデルのようなルックス。
彼が持つ舞台上のカリスマ性と独特の衣装や振る舞いも印象的で、1970年代のロックアイコンとなります。
ロバート・プラントは1948年8月20日、イギリスのバーミンガムに生まれました。
幼少期はフォークミュージックに夢中でしたが、10代前半の頃にブルースの音楽に出会い、自らも演奏するようになりました。16歳で家を出ると、いろんなバンドを渡り歩くミュージシャン生活に身を投じたそうです。

ロバート・プラントの学生時代、どんな歌声で音を奏でていたんだろうね♪
タイムスリップして、聴いてみたい。

Youtubeにはいくつか投稿されているんだけど、公式な録音は残っていないんだ。
👉️気になる方は、ファンがアップしている非公式音源がYouTubeにありますので、チェックしてみてください。
▶️おすすめ音源
・「Robert Plant Listen 1966」
・「Robert Plant Listen I’ve Got A Secret」
・「Band of Joy 1967 Robert Plant live」
レッド・ツェッペリン時代とは違ったロバート・プラントの一面が、感じられると思います♪
ギタリストのジミー・ペイジ
レッド・ツェッペリンを支え、ロックの歴史を変えた伝説のギタリスト、ジミー・ペイジ。
ギターの神様とも称された彼は、ギタリストとしての技術だけでなく、作曲・アレンジ能力も卓越。
ロック史上最も影響力のあるギタリストの一人として評価されています。
ジミー・ペイジは1944年1月9日イングランドのミドルセックス州で生まれ、幼少期からギターに興味を持ち、ブルースやスキッフル音楽に影響を受けました。
また、ロックンロールからクラシックまで幅広いジャンルのギタリストの演奏を聴きながら、ブルースにも熱中していったそうです。(HMV&Books記事・ローリング・ストーンズ誌より)

スキッフル音楽って、なに?
1950年代のイギリスで流行した、ギターや洗濯板など身近な楽器で演奏されるシンプルな音楽スタイルのこと。若者の間で大流行し、ビートルズをはじめ多くのロック・ミュージシャンの出発点となりました。
1960年代初頭には スタジオ・ミュージシャンとして活動し、多くのセッションでバック演奏を担当し経験を積みました。

なんと!あのローリング・ストーンズのレコーディングにも参加してたんだって♪
「リフ先行で曲を作る」という手法を代表的に使ったことで、後世のロック・ギタリストの作曲方法にも影響を与えました。
「リフ」というのは、ギターやベースなどで繰り返される印象的なフレーズのこと。
イントロや間奏、サビ前などで繰り返され、曲全体の流れや勢いを作る中心的な役割を果たします。
ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ
多才な演奏技術とアレンジ力で、バンドの音楽的な深みを作り出す。
レッド・ツェッペリンのサウンドの「縁の下の力持ち」として、音楽ファンや評論家から高く評価されているジョン・ポール・ジョン。
彼は、1946年1月3日、イングランド・サリー州キングストン・アポン・テムズで生まれました。
幼少期、父からピアノを習い、14歳で地元の教会の聖歌隊指揮者兼オルガン奏者となります。
ティーンエイジャーのころからロックやジャズにも親しみ、多彩な音楽ジャンルに触れて育ちました。
『All My Love』は後期ツェッペリンの代表的なバラード曲なのですが、柔らかくも綺麗で滑らかなキーボードの音に、思わず心が引き込まれました。

ベースやキーボードだけでなく、多楽器が弾けるんだけど…
その経験が、音楽全体の見方や表現力の豊かさに繋がっているんだよね〜。
その後1960年代初頭、スタジオ・ミュージシャンとして活動し、ギター、ベース、キーボード、アレンジの能力を兼ね備えた多才な人物として注目されます。
ジョン・ポール・ジョーンズがいたからこそ、レッド・ツェッペリンの音楽はより立体的に響いたのです。
ドラマーのジョン・ボーナム
圧倒的なパワーとテクニックがとにかく凄い!
彼のドラムは、ロック史上最高のドラマーのひとりとして評価されています。
レッド・ツェッペリンのサウンドに爆発力とダイナミックさを与え、バンドのライブ演奏を特別なものにしました。
1948年5月31日、イングランドのウスターシャー州に生まれました。
5歳でドラムを始め、空箱とコーヒー缶で作ったドラムセットを使い、プロの叩き方を真似ていたそうです。
10代の頃は、地元のドラマー達からアドバイスを受けながら練習に励んだとか。
ティーンエイジャーの頃になると、建設業を営む父親の下で見習い大工として働きながら、地元の複数のバンドで演奏経験を積み始めました。
彼のドラムの特徴をまとめると…
・速く正確なドラミングと力強いビート
・複雑なリズム変化にも対応する柔軟性
・「Moby Dick」のような長尺のドラムソロで観客を魅了
しかし残念なことに、1980年ジョン・ボーナムは窒息による不慮の事故で急逝しました。
今もなお、ロックドラマーとしての彼の影響は色あせず、多くのドラマーたちがその技術と情熱に触発されています。
アルバム「Led Zeppelin〜Led Zeppelin III」まで
1969年に発表されたデビューアルバム『Led Zeppelin』では、ロバート・プラントのまるで楽器のような歌声が早くも輝きを放っています。
👉️初期の特徴
レッド・ツェッペリン音楽の土台には、”ブルース”というジャンルの要素が土台にあります。
そこにロックの力強さが多く加えられたアルバムが『Led ZeppelinⅡ』、
更にフォーク音楽がプラスされたアルバムが『Led ZeppelinⅢ』となっています。
どのアルバムにも共通していることは、一曲一曲が孤立せずに、物語のように繋がりを持っているということ。
ジミー・ペイジのギター(弦楽器)に聞き惚れ
ジョン・ポール・ジョンの心臓を刺激するようなベース音とオルガンの澄んだ音に心惹かれ
ジョン・ボーナムの力強くも乱れることのないクリアなドラム音に身体を躍らせ
ロバート・プラントの楽器のようなハイトーンボイスと曲ごとに違った顔を見せる歌声に圧倒されます
この時代から、「レッド・ツェッペリン」という唯一無二の世界観が作り出されています。
初期時代―名曲3選―
『Led ZeppelinⅡ』はバンドにとって初めてイギリスとアメリカのチャートで1位を獲得したアルバムとなり、商業的にも成功を収めています。
また、このアルバムは音楽評論家やファンからも特に高く評価されている一枚です。
とりあえず「レッド・ツェッペリンのなにがいいの?って人は、このアルバム聴くといい。」って声をちらほら聞くんですけど…わたしも右に同じくの意見。
1枚のアルバムで、ブルースのゆったりしたノリからロックの心地よいリズムまで。
ギター音も、ドラムも、ベースもボーカルも、それぞれが光り輝いてかっこいいんですよね。
「レッド・ツェッペリン」渾身のアルバムです。
Immigrant Song
これぞ初期の名曲!
『Led Zeppelin III』の冒頭を飾る「Immigrant Song」。
迫力のあるリフと力強いリズムで、聴く者を瞬時に引き込み、バンドのエネルギーを象徴する一曲です。

このイントロにロバート・プラントのあの声!
いつ聴いてもしびれちゃうよ〜♪
Thank You
『Led Zeppelin II』に収録されている「Thank You」は、レッド・ツェッペリンとしては珍しいラブソング。
透明感のあるギターとオルガンが優しく響き、フォークやブルースの要素を感じながらも、温かく包み込むような魅力を持っています。

ロバート・プラントの囁くように歌う声が、いいんだよ〜♪
Moby Dick
こちらも『Led Zeppelin II』に収録されている曲の一つ。
ジョン・ボーナムの圧巻のドラムソロが展開され、アルバム全体に迫力と緊張感を与えています。リズムの変化と力強さに、聴く者は自然と身体を揺らさずにはいられません。

ジョン・ボーナムのドラムは、音が鮮明で夢中になって聴いてしまうんだ〜♪
かっこいい〜!
1970年代の絶頂期―名曲と伝説が生まれたLed Zeppelin黄金時代―
1970年代レッド・ツェッペリンは、最も影響力のあるグループの一つとなりました。
当時の「世界最高のロックバンド」と言えば
・ローリング・ストーンズ
・ザ・フー
・レッド・ツェッペリン
と言われるほど、彼らの右に出るものはいなかったようです。
1971年に発売された『レッド・ツェッペリンIV』のアルバムは約3,700万枚を売り上げ、歴史上最も売れたアルバムの一つとなりました。
絶大な人気によりレッド・ツェッペリンは1970年代におけるスーパースターとしての地位が、確固たるものになりました。
出すアルバムはほぼ首位を獲得し、ツアーは満員。
観客動員数の記録を更新することも多くありました。

レッド・ツェッペリンに敵なし!
どの曲聴いても、聴き惚れちゃうもんな〜。
💿️黄金期に発売したアルバム💿️
☆『Led Zeppelin Ⅳ』1971年
☆『Houses of the Holy』1973年
☆『Physical Graffiti』1975年
☆『Presence』1976年
☆『The Song Remains the Same』1976年
※黄金期としてまとめる期間を1971〜1976年と少し長めに設定しています。
名曲の誕生
レッド・ツェッペリンには、名曲と言われるものが数多く存在しています。
その曲たちは、発売から55年以上経った今も、色褪せずに偉大な存在感を放っています。
そんな数ある名曲の中から、伝説の名曲2曲をご紹介します。
Stairway to Heaven
日本名では「天国への階段」として、有名ですよね。
実はこの曲、シングルとしては発表されていません。
それにも関わらず1970年代にアメリカのロックラジオ局で最もリクエストが多く、最も再生された曲となりました。
この曲には「逆回転で再生すると、悪魔崇拝のメッセージが聞こえる」という都市伝説がありました。
でもこれ、全くの嘘。
この噂について、当時のロバート・プラントは
「そんなふうに聞くなんて一体誰が考えるんだ? そんなふうに聞く人がいると思いつくのは、よっぽど暇な人だろうな」と呆れ果てていたのだそう(笑)。
(ローリング・ストーンズ誌より)
事の発端は1982年、とあるテレビ伝道師が”悪魔の崇拝のような言葉に聞こえる”と
彼の頭の中にあった疑惑を公表したことで、都市伝説へと発展しました。

その伝道師には聴こえたのかも知れないけど
メンバーにとっちゃ、迷惑でしかなかっただろうね(笑)
Kashmir
Kashmir(カシミール)は、レッド・ツェッペリンの楽曲の中で、フルオーケストラを導入した最初の曲となっています。
曲全体の壮大さが際立つ一曲です!
ジミー・ペイジは「カシミール」の特徴的な音は、別曲のアコースティックギターを逆回しにした偶然の発見から生まれたと語っています。
リフ(ギターや他の楽器で繰り返される印象的なフレーズや旋律)を軸に、ジョン・ボーナムのドラムや管楽器・オーケストラを重ね、ホールの音響を活かして神秘的で深く心に響くような印象的な曲に仕上げたのだとか。
歌詞については、ロバート・プラントが「モロッコにいた時に書いた歌詞を試してみたい」とジミー・ペイジに相談し、承諾したようです。
でもそれは、曲の基本構造が出来上がってからずっと後のことだったのだとか。
(ローリング・ストーンズ誌より)
話題のライブと伝説
この頃、最高潮に達していた彼らの過激な私生活は、今でも伝説や逸話として数多く語り継がれています。
日本でも、1971年・1972年と2度の来日公演を行いました。
特に初めての来日公演、特に大阪フェスティバルホールでのライブは、ツェッペリンのライヴ史においても屈指の名演と言われています。
また、広島公演での収益は、原爆被爆者への寄付に充てられ、当時の市長からレッド・ツェッペリンのメンバーへ感謝状と市のメダルが贈られました。(Led Zeppelin.comより)
レッド・ツェッペリンの数々の珍事件
レッド・ツェッペリンには、私生活においても、いくつもの伝説が残っています。
その行為は特に、気まぐれのジョン・ボーナムに多いのだとか。
日本では、東京ヒルトンホテルに宿泊しジョン・ボーナムが日本刀で備品などを切り刻んだという有名な噂があり、彼らは世界中のヒルトンホテルから追放されたとも語られています(真偽は定かではありません)。
また、米国カリフォルニア州パサデナという地方では熱狂的なファンと生きたタコ4匹とお風呂に入ったという奇想天外な逸話も語られています。

色んなゴシップ話を聞くよね。

そうそう。
レッド・ツェッペリンの過激な話は他にも沢山あるんだけど…
ジミー・ペイジは、アンカット誌のインタビューでこう語っています。
「神話は忘れろ。だって、すべては音楽のためだったんだから」と。
(アンカット誌より)
音楽のために人生のすべてを捧げてきた――やったこと全てがもし本当なのであれば、肯定することは決してできません。
ですが、彼らの音楽に対する情熱を超えた気迫のようなものを、ジミー・ペイジのこの言葉に込められているように感じます。
ロバート・プラントの悲しい出来事
1977年7月、レッド・ツェッペリンが北米ツアーの最中に、ロバート・プラントへ悲報が届きました。
当時5歳だった息子のカラックくんがウイルス性胃腸炎で急逝したのです。
バンドは残りの公演をすべて中止し、この出来事はレッド・ツェッペリンの今後を危ぶむ声を呼びました。
伝説のバンドが終わった瞬間―幕を閉じたLed Zeppelin

1979年8月、レッド・ツェッペリンは再び表舞台に立ち始めます。
イギリスで行われる大規模野外ライブで2回ヘッドライナーを務め、約104,000人の観客を魅了しました。
1980年には6月から7月にかけて彼らは長い即興や派手なソロを封印し、演奏曲を厳選したシンプルで落ち着いたヨーロッパツアーを行いました。
そのツアー中、ドイツ公演でボーナムがステージ上で倒れてしまいます。
公演は3曲目の途中でしたが、やむなく終了。
マスコミは彼が倒れた原因は過度の飲酒と薬物使用の結果であったことを示唆しましたが、メンバーの一部は食べ過ぎだと語っています。
💿️後期に出されたアルバム💿️
☆『In Through the Out Door』1979年
☆『Coda』1982年
ジョン・ボーナムの突然の訃報
1980年9月24日、北米ツアーに向けてのリハーサルに参加するため、ジョン・ボーナムはスタジオへ向かいました。
そして翌日の午後1時45分、ジョン・ボーナムは亡くなった状態で発見されました。
発見したのは、当時新しくツアーマネージャーに就任していたベンジ・ルフェーブルと、メンバーのジョン・ポール・ジョーンズでした。
死因は嘔吐による窒息とされ、偶然の事故でした。
ジョン・ボーナムは愛妻家
ボーナムと言えば、その破天荒な行動が目立ちますが、実はその行動とは裏腹に、大変な愛妻家で良き父でもあったようです。
彼は10代で結婚し、18歳の時に息子のジェイソン・ボーナムの父となりました。
彼は家族が大好きで、子育てにも積極的に参加していたというエピソードも残っています。
あまりにも家庭を大事にしていた為、家や家族から離れて長いツアーを行うことを嫌っていたジョン・ボーナム。
彼は寂しさやストレスから、酒に頼る傾向があったと伝えられています。
愛する家族が待っている家があっても、スーパースターとして何でも手に入れられる地位に上りつめられても――。
それでも、彼の家族に対する想いは、他のもので埋めることができないほど深く、繊細で尊いものだったのかもしれません。
寂しさゆえの行動だと思うと、胸がぎゅっとなるような気がします。
メンバーにとってのジョン・ボーナムという存在
ロバート・プラントがジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムに自分の気持ちをこう話しています。
『ジェイソン、きみがどれだけ最高にドラムが叩けるかどうかという問題じゃないんだよ。
ぼくはきみのことが大好きだし、きみのドラムはまったくもってとんでもないよ。
でも、レッド・ツェッペリンのドラマーはジョンだったわけで、ジョンはぼくとジミーとジョン・ポール・ジョーンズの一部になってたんだよ。ぼくたちはなにかとてもとても、かけがえのないものを分かち合っていたんだ。ぼくはね、ジョンがもはやいないのに、あの魔法を再び生み出そうとしてみることについて考えてみるだけでも息が苦しくなってくることが今でも時々あるんだ。
ジョンはぼくの本当に大切な親友で、今でも毎日会いたいと思っている人なんだよ』
つまり、ジョン・ボーナムは単なるドラマーではなく、メンバー全員にとってかけがえのない存在だった、ということが伝わってきます。
彼を失ったレッド・ツェッペリンのメンバーの悲しみ。
それは、沢山の思い出と、自分たちの音楽を心で感じ合い、言葉にはできないほどの”絆”で今でも繋がっているのかもしれません。
(Rock’n On誌掲載のローリング・ストーンズ誌インタビューより)
息子ジェイソン・ボーナムが語る父の存在
ジョン・ボーナムが32歳で逝去したとき、彼は14歳でした。
彼は米ラジオ局102.3 WBABのインタビューで、父の死についてこう語っています。
「親しくしていた人を喪うと、いろんなことを思い出す。
でも同時に、楽しかったこと、笑顔、笑いもよみがえるのを忘れてはいけない。
僕はラッキーなことに、YouTubeやインターネットに父のビデオがいっぱいあり、それで振り返ることができる。
父に会う機会がなかった僕の子供たちに、それらを見せ、“これが君らのお祖父ちゃんだ…”って言うことができる。だから、僕らは恵まれている。
彼がどんなだったか、子供たちに見せられるビデオが常にあるからね」
彼の中のジョン・ボーナムは、偉大なロックスター、そして偉大なドラマーとしてかっこいい父だったと思います。
ですがその前提に”僕の大好きなおとうさん”という気持ちがあって、心の奥底から感じる家族の愛と、父と息子の温かいつながりをこの言葉の節々から感じられたのでした。
優しく笑って息子を見守るジョン・ボーナムの姿が目に浮かぶようです。
(BARKS誌より)
Led Zeppelin復活の物語―時を超えて戻った伝説
1980年ドラマーのジョン・ボーナムが逝去して以降、レッド・ツェッペリンというバンドの時間は
止まったままでした。
27年後の2007年、ついにバンドは再びステージに立ちました。
27年ぶり。一夜限りの再結成コンサート『祭典の日(Celebration Day)』でした。
このニュースに、全世界のファンや音楽業界が歓喜しました。
このコンサートは、チケットの申し込み件数が2000万件に上り、単一アーティスト公演としてギネス世界記録に認定されました。
コンサートのチケットは約1万8000枚だったので、倍率は驚異的。

全世界がこの再結成ライブに大注目だったんだね!!
ドラマーはジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムが参加したことも、話題となりました。
再結成ライブのきっかけ
この再結成ライブは、『アーメット・アーティガン追悼コンサート』として行われました。
2006年に死去した米アトランティック・レコードの共同創設者で、彼らの親しい友人でもあったアーメット・アーティガンの功績を称え、追悼の意味も込められたチャリティー・イベントでした。
レッド・ツェッペリンは、1968年のデビュー当時からアトランティック・レコードと契約していました。
そんな彼への敬意を表して、このコンサートのヘッドライナーとして参加しました。
アーメット・アーティガンは1947年にAtlantic Recordsを共同設立し、レッド・ツェッペリンを含む多くのアーティストを世界的成功へ導いた人物です。
歴史的な一夜「2007年ロンドン公演」
ロック史において最も大きな期待を集めた、この再結成コンサート『祭典の日(Celebration Day)』。
「胸いっぱいの愛を」「ロックン・ロール」「カシミール」「ブラック・ドッグ」「天国への階段」といった彼らの数々の名曲、全16曲を演奏。
なんと2時間を超える圧巻のパフォーマンスを繰り広げました。
2017年にロバート・プラントは「Rolling Stone」のインタビューで当時の再結成ライブについてこう振り返っています。
「ライブは素晴らしかった。バンドは再結成に腰が引けてたが、あの夜はホームランを打ったようだったよ。バンドが思ってた以上に上手くいったんじゃないかな」
(rock’n on 記事より)
奇跡の一夜の模様を収録した作品『祭典の日』は2012年にリリースされ、グラミー賞で「ベスト・ロック・アルバム」を受賞し、世界的な大成功を収めたライブ作品となりました。
ファンと世界が見守った再結成
当時のライブ映像は、レッド・ツェッペリン公式チャンネルのYouTubeで公開されています。
「Kashmir」の映像では、曲が始まった直後に客席から歓声が起こります。
「キター!」と言わんばかりの興奮が、こちらまで伝わってきます。
解散から27年という年月を経たとは思えないほど、パフォーマンスは圧巻です。
ロバート・プラントの歌声も変わらず力強く、ライブ映像を観ているだけで鳥肌が立ちます。
この再結成について、ジミー・ペイジはインタビューでこう語っています。
ジェイソンが引き受けた荷は大きかったけど、ぼくたちはジェイソンにそれを完全に全うしてもらわなくちゃならなかったんだ」
(ローリング・ストーンズ誌のインタビューより)
この再結成の成功の裏には、メンバーそれぞれがこのライブにかけた強い思いと、自分たちの音楽への愛情、そしてレッド・ツェッペリンとしての誇りが確かに感じられました。
最高の舞台にしたい。
このライブにかけた彼らの思いと努力は、最高で最強の”レッド・ツェッペリン復活ライブ”となりました。
そして世界中から高い評価を受け、「伝説のライブ」として今も語り続けられています。
コーディーのおすすめ曲―優しい一面を見せる『That’s the Way』
「こんな優しい楽曲があったの?!」と
わたしは衝撃を受け、思わずメモに取りました。
ハードロックの先駆者と言われるだけあって、”激しめな音楽”と認識されがちなレッド・ツェッペリン。
しかし、彼らの曲の中には様々な音楽性が詰め込まれており、この曲もその一つです。
ロバート・プラントのささやく歌声と、バックに流れる優しいギターと弦楽器の音。
すべての音にそっと包みこまれるような一曲となっています。
曲の終盤でペイジが急遽ベースパートを追加したエピソードが有名で、ペイジは当時をこう振り返っています。
「ジョン・ポール・ジョーンズが帰宅した後、ベースパートを自分で録音してしまった。
こんなことは滅多にない(笑)」と。
(ギターワールド誌のインタビューより)
映画「Becoming Led Zeppelin」の魅力
ついに公開された、映画「Becoming Led Zeppelin」。
この作品は、デビュー・アルバムをレコーディングしてから50周年を記念して制作された最新ドキュメンタリー映画です。
ライブ音源に加え、レッド・ツェッペリンのメンバー本人たちのインタビューも収録されています。
彼らがどう振り返り、どんな思いを語るのか―必見です。
そして何より注目したいのが、IMAX同時上映。
最新の音圧映像技術によって、1970年代のロックの空気をリアルタイムに体感しているかのような迫力が味わえます。
メンバーの息づかいまで感じられるこの臨場感は、ライブに行けなかった世代や、ツェッペリンを知らなかった若い世代にとっても“時空を超えた入り口”になるはず。

でも、IMAXって普通の映画と何が違うの?

IMAXは体験型の映画のことだよ。
詳しく説明するね♪
圧倒的な臨場感が生み出す、プレミアムな映画体験!
映画をよりリアルに体感するため、映像や音響、シアター空間、さらに専用カメラまで、あらゆる要素を最高レベルに磨き上げた上映システム。
それがIMAXデジタルシアターです。
IMAXはただの映画ではありません。**“体験型の映画”**として、鑑賞ではなく体感することを重視しています。
この圧倒的な臨場感は、映画ファンだけでなく、著名な映画クリエイターも魅了。
作品の魅力を最大限に引き出すハイスペックシアターとして、世界中で支持を集めています。
(KINEZOサイトより)
本日のまとめ
この記事を書くきっかけは母の「友達と”レッド・ツェッペリン”の映画を観たい」の一言でした。
正直、数ヶ月前までレッド・ツェッペリンの存在は「あああ〜あ!」の人で止まっており、音楽性が私の好みからはやや外れていました。
ですが、不思議なことに、調べれば調べるほどレッド・ツェッペリンの音楽性に魅了され、そしてそれぞれの人物像にも興味を持ちました。
彼らはもちろん天性もあるでしょう。
でも、それ以上に音楽に対して一切の妥協はせず、目指すものを形にするために努力をし、そして自分達が作る音楽を誰よりも愛する強い思いを感じました。
彼らの楽曲には、1曲5分以上ある曲が多く存在します。
でも不思議と聴き入ってしまうのです。
まるで1つの物語のように、一つひとつの音が重なり、時にソロパートも光り輝き、その世界へと引き込まれる力があります。
レッド・ツェッペリンの歴史は、驚くほどに深くそして破天荒です。
ですが、アルバムを1からぜひ聴いてほしいです。
デビューから50年以上経った今も愛される意味が、彼らのアルバムの全てに詰まっています。
ジミー・ペイジはベネチア国際映画祭でプレミア上映された際の記者会見で、『Becoming Led Zeppelin』についてこう語っています。
「メンバー4人はそれぞれが卓越したミュージシャンで、まさに“星の巡り合わせ”とも言えるような奇跡的な出会いによって、一つのバンドとして結集したんだ。
物語を追っていくと、4人それぞれが異なるキャリアやアプローチを持っていたことがわかると思う。
しかし、一度集まった瞬間、その融合はまるで止まることのない爆発のようで、その勢いはツアーへ、そしてレコーディングへと繋がっていった。
アメリカとイギリスを行き来するツアーの合間に録音や映像撮影を行いながら、その勢いはとどまることを知らなかった。まるで時速100万マイルで駆け抜けているような感覚だった。
その熱量こそが、この映画で見事に表現されており、観てもらえれば、きっとその迫力と本質を感じていただけるはずだよ」(Yahoo ニュース記事より)
🎧️Spotifyで全アルバム曲をまとめました。
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「あぁ、ここで広告?!いいとこだったのに…」がスッキリなくります。
今より心地よく音楽を楽しみたい方は、ぜひこの機会に登録してみてください♪
今回は、レッド・ツェッペリンの歴史を振り返りました。
あなたの「レッド・ツェッペリンのこの曲推し!」という思いや、レッド・ツェッペリンの音楽にまつわる思い出などがあれば、ぜひコメントで教えて下さい。
また「このアーティストを特集してほしい!」というリクエストも大歓迎です。
「洋楽って聴いてみたいけど、ちょっと敷居が高いんだよな〜」という方も、まずは軽い気持ちで再生してみてください。
そして――再び再生したくなるような、そんな曲に出会ってもらえたら最高に嬉しいです。
“ちょっと元気をくれるRadioブログ”
次回は最新アルバム『Love Is Like』が発売されたMaroon5特集です♪
お楽しみに 📻✨
※記事内の情報は、Wikipedia、その他信頼できるウェブメディアを参照し、事実確認に努めています。
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